「どうだったんだ? 今日」
 薄明るい照明に溶け込むような柔らかさで訊ねられる。こいつがこういう聞き方をするのは、だいたい俺が疲れてるときだ。でも今日はそれほど大きな仕事はなかったので、何を聞かれているのかわからなかった。
「何が?」
「なんか―――ああ、アレッサンドロ親父とカヴァッリ顧問に呼び出されたんだろう、お前。今度は何のお小言だ?」
 ずばりと核心を突かれて、軽くむせてしまった。
「な……んだよ、お小言ってのは」
「違うのか? お前が呼び出し食らうのって言ったら、無茶したとき、気に食わない重役連中に逆らったとき、書類仕事溜めたとき……ああ、オペラハウスで爆睡した後も怒られてたっけな」
 そのときのことを思い出したのか、ルキーノはくく、と喉で笑う。
 そうだ、俺も最初は「なんかやらかしたかな」と思って親父の部屋に行ったんだった。でもそんなのは、今になってみれば平和な呼び出しだった。
「ちげーよ、そんなんじゃねえ」
「そうか。……俺がいなくてもお利口にやれてるようなら、何よりだ」
 その余裕の口調と満足そうな表情に、妙に心拍数が上がってしまって、俺はそっぽを向いた。
「ガキじゃねえんだから」
「ああ。もう立派な―――尊敬に値する、俺たちのカポ、二代目だからな」
「……なんだよ急に。褒めても何も出ねえよ」
「いや。お前にスーツの着方だの、グラスの上げ下げだの教えてたころが、懐かしいなと思って。……もうあのころみたいに、四六時中ついて回らなくても安心していられる」
「あんたはどっかの修道院長の次に鬼教師だよ」
「少し―――ハハ、寂しいが。そろそろ卒業だろう」
 その言葉に、びくりと身が竦んだ。卒業って、……なんで今、そんなこと言うんだ。なんで、突き放そうとするんだ。
 汗をかいたグラスの水滴を無意味に指先で擦って、俺は呻いた。
「なあルキーノ。あんた言ったよな。俺をカポにしてみせるって」
「ああ。前にも言ったが……俺は約束を守っただろ」
「そうだ。……あんたは俺をカポにしてくれた。おかげで俺はなんとかやってこられた。あんたがいなかったら、何もできなかったはずだ」
「おお? 俺だって、褒めても何も―――」
「でも今、約束は果たされてる」
 酒のせいか喉がひりひりした。俺はこんなこと聞いてどうしようっていうんだ。
「―――あんたこれからどうするんだ? ルキーノ」
 唐突な問いかけに、ルキーノは面食らったようだった。笑い飛ばしもしなければ、何の話だと聞き返しもしない。ただかすかに眉をひそめて見下ろしてくる。
 まずい、と思った。
「ああ、いやなんでもない。忘れてく―――」
「俺は」
 半笑いで手を振った先に見えた、強い紅色に射抜かれた。
「お前をカポにすると誓った。カポってのは……CR:5ボスってのは、俺が持ちうる限りの忠誠を捧げる相手だ、ジャン」
「……つまり、どういうことだよ」
 真剣な声音に、嘘なんて一オンスも含まれてないのを知りながら、それでもまだ言わせたいと思ってしまう。これから語らなければいけないことに対して、どれくらいの掛け金を払えば安心できるのか見当もつかなかった。
 ルキーノは少しだけ笑った。
「わかってて聞いてやがんな? つまり俺はこれからも、我らがボスとファミリーに忠誠を誓う―――今までどおりだ。何も変わらんさ」
 その宣誓はとても嬉しいことのはずだった。だけど、違う、そうじゃなくて、俺が聞きたいのはそういうことじゃなくて、
「あんたはこれからも、……こう、いうふうに、いてくれるってこと、かよ?」
「なんだ? 妙に勘繰るな。俺がボスに嘘をつくとでも―――」
「そうじゃねえって!」
 こんな聞き方でわかるわけないんだが、もどかしくてつい声を荒らげてしまった。あ、いや、と呻く。
「そういうんじゃなくてよ、その―――ボスとかそういう……いや、俺がボスじゃなかったらあんたとこういうのはあり得ねえんだけど」
 何をどうフォローしてどう訊ねればいいものやら、俺が完璧に見失ったとき。
 ルキーノの口元が、ふ、と太い笑みを刻んだ。
「なんだ。何を言い出すかと思えば。……こんなところで何言わせる気だ?」
 潜めた声がレコードの静かな音楽に溶けた。確かによく考えりゃ、周りの客も店員も、あえてこっちの話は聞こえないような位置にいるが、それでもまるで遮断されてるわけじゃない。何考えてんだ俺は。
「ああ……なんか、やっぱ疲れてんのかな」
 苦笑いでごまかそうとした俺の手を。
 ルキーノのでかい手がするりと絡め取った。
「……っぅ?」
「それも、今までどおり―――いや? 今まで以上だ。……ここから先は上で話す」
「上って……予約サンキュ」
 手のひらよりも視線からじんわりと熱を受け取る。それだけで―――ああ、俺はやっぱ単純にできてんなと実感する。どうしようもなく満たされて、……これならきっと、何を話しても、何があっても大丈夫だと、そう思えた。
 いやでも、この状態も結構、見ようによっては「こんなところで」だぞ、エロライオン。
 名残惜しそうに離れていく指先を見送って、俺は。
 ―――意を決して口を開いた。