「……ジュリオ……?」
泣き出しそうな顔で、ジュリオはそこにいた。
「ジャンさん……どうして、こんな―――ああ、俺……どうしたら、いいか」
ジュリオの長い指が、俺の頬に、手首に触れる。状況はまったくわからないのに、そこから溶けてしまいそうになるほど、頭で何か思うより前に嬉しいと感じた。
「こんなに……」
ジュリオが言葉を詰まらせる。俺の痩せてしまったところに触れているんだと気づいた。
それでようやっと、ここがどこだか思い出す。
ジュリオの後ろには護衛と、ベルナルドが倒れていた。
「―――ベルナルド! ジュリオ、お前」
「ッ……口止めされていたと、本部の者に聞きました―――」
……しまった。
「違う、口止めは俺がベルナルドに頼んだんだ! おい、しっかりしろベルナルド!」
「当身を食らわせただけ、です……―――ジャンさんが、頼んだ?」
「う……」
頭を振りながら、ベルナルドが顔だけ起こす。辛そうに顔をしかめ、ベルナルドはジュリオを見上げた。
「ジュリオ……お前、どうしてここに」
「本部の兵隊が吐いた。なぜ黙っていた、ベルナルド」
―――最悪だ。
俺が避けたかった事態が最悪の形で実現してしまった。まだ何の答えも出ていなかったのに、ジュリオは来てしまった。俺の状態を知らないはずもない。
毀して、しまう。
「ジャンは……お前を動揺させない、ために」
「……元々、一つ、なんだ。俺から奪うな―――」
一つ、というのが何を指しているのかはよくわからなかったが、身が竦むような思いがした。ジュリオから俺を奪おうとしたのは俺自身だ。けど―――いや、だめだ。どんな理由があったってそれは事実だ。
ジュリオは凍てつくような炎を宿した目をこちらへ向け、言った。
「ジャンさん、俺と、いきましょう―――」
「い……くって、どこへ」
「ここは、だめです……」
ジュリオが部屋の中を一瞥する。その目に映った、真っ白な、白すぎる、部屋。
―――だめだ、と俺も思った。
「来て、ください。お願いします……」
重ねられるジュリオの懇願に、俺は。
「……わかった。いこうぜ、ジュリオ」
「ジャン!?」
いまだ立ち上がれないベルナルドが呻く。その愕然とした顔に、俺は緩々と首を振った。
「悪い、ベルナルド。……けど俺は……行かねえと」
ここで断ってしまったら、本当に徹底的にジュリオを壊してしまう。そういう予感があった。何が起ころうとそれは、こんなになるまで事を先延ばしにしてきた俺の責任だ。
ベルナルドはそれを察してくれたのか、ぎ、と何かを噛み締めると下を向いた。
「ありがとう―――ございます」
長いまつげを伏せ、礼を言ってから、ジュリオの腕が俺に伸びる。
体重を失った体はやすやすと担ぎ上げられた。ジュリオはためらいなく、風のように病院の廊下を疾走し始める。
ジュリオの肩越しに遠ざかるベルナルドに、俺は精一杯の力で叫んだ。
「すまねえ、ベルナルド……ありがとな―――!」
返事はなかった。
代わりに、力いっぱい廊下に拳を叩きつけるベルナルドの姿が見えた。
バイクは夜通し走り続けて、俺はその横っちょに引っ付いたサイドカーで道中のほとんどを寝て過ごした。揺れる乗り物の中で長時間起きていられる体力は、もうなかった。
何度か目が覚めたときもジュリオは運転していて、お前も寝たほうがいいんじゃないのかと訊ねると、睡眠はキューバで十分とってます、これなら数日は寝なくても保ちますと言われた。そこで本来なら、そんなの駄目だから休めと言ってやるところなのだが、そのあまりに強いまなざしに、俺は、そうか、としか言えなかった。
眠ってはいたがそれでもやっぱり消耗は激しくて、起きるたびに嘔吐した。できるだけジュリオに見せたくなかったから、小便と言ってその場を離れたが、こんな何もない道では丸わかりだっただろう。その証拠に、ジュリオは俺が戻るたびに抱きかかえて背中をさすった。いたわるというよりは、獣が瀕死の母親を舐める仕草に似ていた。
「ん―――」
浅い眠りから何回目かの覚醒をした俺の目に、赤色の広すぎる空が飛び込んでくる。
「あ……おはよう、ございます。ジャンさん」
まだ運転を続けていたジュリオがこちらを見て挨拶した。
だだっ広い平原の中を頼りなげにどこまでも続く路面の、遥か頭上、白んだ空気の向こうに、濃紺の天蓋と、それを焼き尽くそうとしている赤とオレンジの中間みたいな光が見える。
「……夜明けか」
「はい。時刻は―――」
「いや。いいよ。……せっかくお前とドライブしてんだ、時計なんかないほうがいい」
「はい……すみません。俺も、そう思います―――」
時計は今の俺にとって、カウントダウンの道具でしかない。それを知ってか知らずか、ジュリオもうなずいた。
道路の外の雑草は強すぎる陰影でほとんど真っ黒になり、東側だけを薄っすら、未だ昇らない朝日と同じ赤に染めている。西の空の鮮やかな紺色の中には、金や白の星が無数に瞬き、欠けた月が今夜の役目を終えようと眠りにつきつつあった。
そして、この強烈な赤。十数分かそこらで終わってしまう暁光のカーテンが、遮るもののない広大な空を染め上げている。
強い風の中で、研ぎ澄まされた清涼な空気を思い切り吸い込んだ。
「―――キレーだな」
こんなに色の溢れた世界、久しぶりに見た。ライダー用メットを仄赤く染められたジュリオが横から俺を見下ろし、もう一度うなずく。
「はい。綺麗、です……とても。あちらとは違う……」
「そっか? 俺はキューバも意外と悪くないと思ったけどな」
「……ジャンがいたときは、美しかった」