書棚と窓際の壁の、細い通路。そこに―――
探していた長身を、見つけた。
「……アナ?」
こちらに銃を突きつけた姿勢で、ベルナルドが眼鏡の奥の翠を見開く。当たり、と思うと同時に、走り疲れの息の下から苦笑が漏れた。
「ここから下の階の窓に入るつもりだったの?」
「あ、ああ―――そう難しいことじゃない」
「あなたって結構、無謀よね」
ジャックされた市庁舎に丸腰で飛び込むほどではないかもしれないけれど。
ベルナルドは銃を下ろし、少しだけこちらに歩み寄った。
「どうして……お前がここに」
どうしてかしら。うまく説明できる自信がなかった。
それに答えず、ナスターシャは言った。
「あの子、ジャンカルロは無事よ。助かったわ」
「え―――」
なぜ、とも、どうやって、とも。今度は訊かれなかった。ただ力が抜けたように、その長身がよろめく。窓のサッシを掴んで体を支え、ベルナルドは独り言のように呟いた。
「そう、か……ハハ、良かった……」
心底からの安堵に、ナスターシャは窓外に目をやった。三階よりも外の混乱が遠い。薄暗い部屋の外、春の陽光がきらきらと輝いて、妙に穏やかだった。
視線を青空に向けたまま、こちらも独り言めいた小さな声を落とす。
「権利放棄しに来たのよ」
ナスターシャのほうを見て、え、と問い返したベルナルドに、言い直す。
「あなたのお店の権利譲渡の話。放棄できないかって相談しに来たの。そうしたらこんな事件に巻き込まれて―――もう、散々ね」
冗談めかして笑ってみせる。
「そうか、お前も役所の中に」
何か勘違いしたように言うベルナルドに、ナスターシャは微苦笑した。
「違うわ。外にいたんだけど。……わからない?」
困ったように眉がひそめられる。その仕草は、哀しいより、辛いより、可笑しかった。
「あなたを助けに来たのよ?」
「な、……」
絶句される。何に対してだろう。無茶だということだろうか。―――それとも、助ける理由の話だろうか。
ナスターシャは首を振った。
「勘違いしないでね。あたし、あなたに当てこすりしに来ただけよ」
何のことを言っているのか、ベルナルドはすぐにわかってくれたようだった。それについては少し嬉しく思う。
ベルナルドと、そして自分自身に言い聞かせるよう、はっきりと告げる。
「一年半前……あなた、あたしのこと助けてくれなかった。けど今、あたしはあなたを助けに来たわ」
ベルナルドは目を逸らそうとして―――やめた。じっとこちらを見据えるその視線は、ひどく静かだ。
「アナ」
「謝らないで。……礼も言わないで。だって、それが何になるの?」
遮られたベルナルドは、抵抗せず黙り込んだ。このひとの気遣いは本当に優しい。優しいけれど、でも、優しさだけならないほうがマシだった。